2012年8月26日日曜日

モヤッとサマータイム

今朝、akiさんと何でだったかエアガンの話をしていて、何でだったかレーガンの話になった。「そういえば、まだレーガンって生きてたっけ?」と訊かれたが、知らなかったので「私たちの心の中ではずっと生きてる」と模範的な生徒のように答えた。そこそこ付き合いが長いので、「そういうことじゃなくて」とツッコんでもらえたが、あまり面識のない人に同じことを言ったらどうなるんだろう。「お、おう…」と戸惑いと若干の恐怖の混じった表情で応じられるだろうか。

昼ご飯を食べてからイオンに行った。久しぶりにケーキを買おうとショーケースを見ていたが、こどもが障害物になって中が非常に見づらかった。幼稚園に通うぐらいの年齢と思しき姉妹が、靴を履いたままショーケースの縁に登っていたのである。母親は注意の素振りも見せない。少子高齢化が問題だといっても、程度の低い親子を何の計画性もなく増殖させて、国にとっても個人にとっても意味があるのだろうか…などと意地の悪いことを考えたり。

歳をとったら可愛いおばあちゃんになりたい、と口にしたこともあるが、今のところそんな風に進化する気がしない。どちらかというと、いじわるばあさんになりそうである。可愛いおばあちゃんになれなくても、一貫性があって突き抜けていれば、いじわるばあさんでいいのかなとも最近は思う。

尻すぼみな文章。

2012年8月12日日曜日

とある家庭の不快害虫

以下、その不快害虫をGとする。

去年の夏は1回も遭遇することのなかったGであったが、今年の夏はGにお世話になることが度々あった。お世話になるというか、見かけたらこちらが一方的に始末しているだけだが。

Gを最初に見たのはいつだっただろう。小学生のとき、乾いた洗濯物を取り込んでいたら、足の甲に黒黒した物体がピトッとくっついて、頭の中が真っ白になった思い出はある。あのヒヤッとした感覚は、それ単体なら気持ちよかった気もするのだが、何せくっついているものの形状が悪すぎた。

Gは基本的には森の生き物で、人間の家屋に出現するのはわずか数種類とのこと。こどもの頃、生き物は外敵に食べられないために毒々しい色をしている、とか、メスを惹きつけるためにオスは派手な出で立ちをしている、とか聞いたように思う。でも、家に出るようなGはどうして人間に気に入ってもらえるような形状にならないんだろう。オオルリアゲハみたいな虫だったら、問答無用で殺される回数も減りそうなものだけど。

Gに対して人間が恐怖を覚えるというのも、よく考えてみれば変な話である。Gが人を恐がっているならわかるが。Gは殺人剤を持って走ってくるわけでも、金属バットを振り回してくるわけでもないのだ。

ちなみに、私が恐怖を覚えるようになったのは、祖母の話を聞いてからである。そこは田舎の方の家だったらしいのだが、台所の至るところにGがいて、食器にもGの糞がついていたらしい。しかし、住人は気にせずご飯やら味噌汁やらよそい、ご馳走になるのを断れるような空気でもなかったので、変な臭いがするのを我慢して食べたとか。真相は不明だが、ともかく祖母はそう捉えたのである。

そのときのトラウマのせいか、祖母はGの侵入を阻止すべく非常に気を遣っていたようだった。それでも時々は現れていたらしく、対策用品について「あれ効くっていうから買ったのに、全然効かへん」とこぼしたりしていた。

Gについては「衛生面で問題があるのだから、絶対に退治しないといけない」という意見が多数のようだが、一方で「単なる虫だし、汚いと言っても洗っていない手と大して変わらない」という話もある。先ほどは見た目を問題にしたが、もしGがカブトムシのようにのそのそ歩く生き物だったら、それほど目の敵にされなかったかもしれない。あの素早さは、見つかってはまずいことを何かやっていたのではなかろうか、と思わせるものがある。少なくとも私にとって。

人間だって排泄するし、美味しいものや安いものに群がったりもするのに、Gが原始的な形で同じことをするのには嫌悪感を持つ、というのは理不尽だろう。同族嫌悪かもしれない…などと御託を並べてはいるが、Gと共存する気はない。この世は弱肉強食であり、我々は日々闘っていかねばならないのだ( ー`дー´)キリッ