2013年3月12日火曜日

ひとのきもち

1月にアルジェリア人質事件が起きた。犯行グループが出した声明の中に、目的を達成するためなら死ぬのは厭わないというような文言が入っていた、という報道を聞いてピンと来なかった。そう言えば交渉に勝つと思っているだけで、実際攻撃されるなんて思っていないのではないか、と考えたからである。しかし、akiさんに言わせると、死ぬ覚悟はできているのではないか、という考えであった。ここまで、アルジェリア政府の救出作戦開始前の話。その結末は…

他人の気持ちをわかる、ということは困難である。相手の立場に立ってみることはできても、相手と同じ価値観で考えることができなければ、相手の気持ちを理解することはできない。あるいは価値観はそれほど違わなかったとしても、その状況の切迫感や緊張感を相手と同じように感じられなければ、やはり相手の気持ちを理解することはできない。パジャマ姿で「いやー、恐いねー」とテレビを見ているだけの私が、自分たちの正義を信じて実力行使に出ている人たちの思考や感情を汲むことは、ほとんど不可能だったのである。

一般人の声として、「テロなんて卑劣な手段は絶対に許されません!」というのがあるが、“勝てば官軍、負ければ賊軍”とはよく表現されたフレーズである。偉人の言葉の中には、彼(女)が言ったから取り上げられただけではないかと思えるものもあるが、このフレーズは誰が言ったとしても真実だと思える。

数年前のことだが、「お前は心を開かない」と怒られたことがある。今思えば、「それは貴方と私の間にそれだけの信頼関係がないからではないですか」と反論すればよかったとも思うが、当時馬鹿正直だった私は、心を開く=思ったことを言う、と解釈した。そして、思いつくままに「そんなにこきおろして罵ってばかりいる相手と、一緒にいる意味がわからない。別れればいいのに」と言ったら、「(その相手にも)いいところがあるからくぁwせdrftgyふじこlp」と言っていた。

どうやら、同じ言葉でも人によって定義が違うようだ。彼女にとって、心を開く=彼女の聞きたい言葉(感謝、賛辞など)を言う、ということだったらしい。その場限りの人間関係であれば、適当に多少はお世辞をいうなり悪いことは言わないなり、といった対応をしてもいいが…一方的に気を遣う関係性のまま、さらに相手に優越感に浸らせるようなことをしたくはない、と思ってしまったのは、私が意地っ張りなんだろうか。

後日、「あなたのせいで別れることになりました」とメールが来たが無視していたら、さらにそのあと尋ねてもいないのに「別れたくないと言われたので、別れられない」というメールが来ていた。何て自分本位で他責的な人間なんだろうと呆れていたが、案外少なくないのだろうか。そう思ったのは、大家族の密着ドキュメンタリーの番組を見たときだった。

その番組では、なよなよしたお父さんとしっかりしたお母さんという構図を強調していたが、どうもしっかりしたお母さんという表現には疑問符が。自らも夫の仕事を手伝い、忙しい中食事を作り、というのは大変だろうし凄いとは思う。が、要領よく自分の仕事をこなしていることが、夫に対してどういう暴言を吐いてもいい根拠にはならない。夫に直してもらいたいところは「全部!」と言っていたのが、非常に印象的だった。子供を作ったのも結婚したのも、自分の意思ではないの?天に唾していることに無自覚なのが恐ろしい。

まあ、番組は面白くするためにあえてそういう演出をしているのかもしれないけれど、それを見て共感している人たちが少なからずいるということだろうか。同じ民族でも、分かり合えるのはほんの一部。