2014年6月16日月曜日

能あるはなは詰めを隠す

昔は朝の連続テレビ小説なんて誰が見るんだろうと思っていた。

今の私です\(^o^)/

『純と愛』の総集編を見て、「何じゃこりゃ。ヘンテコだけどつい見てしまうな」と思いつつ、『あまちゃん』はたまたまテレビをつけたときに映っていた役者の演技が学芸会レベルにしか見えなかったのと、世間の人達があまりにじぇじぇじぇじぇ五月蝿い(私の周囲にはいなかったけど)ので鬱陶しくなって全然見なかった。

私が本格的に見だしたのは『ごちそうさん』からである。予告編で見た料理が美味しそうで、美味しそうな料理を見ているだけで幸せな気分になれる私は、「よし、見よう!」と心に決めたのだった。ヒロイン役の杏の顔は、もう杏にしか見えない!といった癖のある顔だと最初は感じていたのだが、毎日のように見続けるとは凄いもので、途中からめ以子(ヒロインの名前)にしか見えなくなった。というより、杏の演技が上手かったからかな?

そして、今は『花子とアン』を見ているわけだが…。まあ展開が気になるっちゃ気になるし、割と楽しみにもしているのだけど、時々「ん?」と引っかかる箇所がある。

先週見たのでは、はな(ヒロイン)が教師を辞めて専業作家になるため上京することになったのだが、いつもはなに「女はとっとと嫁に行け」のような嫌味な言葉を浴びせかけていた緑川先生(同僚の教師)が、「元気で頑張れ」と声をかけ、はなちゃん感激!というシーン。緑川先生は心から応援しているのだろうか。本当はせいせいしているんではないだろうか。はなの祖父が亡くなったとき(先週放映分)も、「おじいさんも君の花嫁姿見たかっただろうねぇ」とか何とか言ってたぞ。何でそんなに素直に言葉を額面通り受け止められるんだ。

そもそも娘時代からはな役が吉高由里子になった時点で、ヒロイン1人だけがフワフワした存在になっていた。子供時代のはなは、訛りで注意されるし、マナーも身についていないし、英語の授業には全然ついていけてなかったのに、娘時代のはなは訛りもなく、英語の成績は常にトップ。努力してそうなったということだろうけど、そのプロセスについては何も描写がなかったので、私にとってこの2人は別人にしか見えない。急に降って湧いた吉高さん。

地元で教師をしているときも、周りの家族は小作農家らしい身なりで顔も日に焼けて黒いのに、吉高さんは小綺麗な格好で生活苦のないお嬢さんに見えてしまう。生徒達から若い女の先生だというので舐められていたはずなのに、視聴者の知らない間に慕われる存在になっていたり…はなってきっと魔法使いだったんだな、というぐらい順風満帆な人生を送っているのであります。

何だかんだ言いつつ、きっと明日も見るんですけどね。

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